あなたのしもべのさばきに たずさわらないでください。 生ける者はひとりもみ前に義とされないからです。
善を行い、罪を犯さない正しい人は世にいない。
なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。
それで人はどうして神の前に正しくありえようか。 女から生れた者がどうして清くありえようか。
もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。
人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。
主よ、あなたがもし、もろもろの不義に 目をとめられるならば、 主よ、だれが立つことができましょうか。
あなたはこのような者にさえ目を開き、 あなたの前に引き出して、さばかれるであろうか。
人はいかなる者か、どうしてこれは清くありえよう。 女から生れた者は、どうして正しくありえよう。
『人は神の前に正しくありえようか。 人はその造り主の前に清くありえようか。
彼らがあなたに対して罪を犯すことがあって、――人は罪を犯さない者はないのです、――あなたが彼らを怒り、彼らを敵にわたし、敵が彼らを捕虜として遠近にかかわらず、敵の地に引いて行く時、
いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者」。